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お知らせ

パーテーション工事が終了いたしました。

自習室が使えます。ご迷惑おかけしました。
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教室移転のお知らせ

■■■教室移転のお知らせ■■■

教室を移転することになりました。生徒の皆さんにはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。


【移転先】 名古屋市中区栄2丁目8番地11号 永楽ビル3F/4F(クリックすると地図が表示されます)
 ☆教室東側のサークルKの向かい側のビル(1Fがうどん屋さん)の3階と4階です。
 ☆3階 事務機能、個別授業、クラス授業、食事等のスペース
 ☆4階 全面 自習室

【移転に伴う作業日】
 移転作業 12月17日(土)朝から
 パーテーションの移設工事 12月19日(月)朝から夕方まで

【教室使用】
 12月17日(土)は全日使用できません。個別授業は振り替える方向で調整します。
 12月18日(日)は使用できるようにします。個別授業は行う予定です。
 12月19日(月)は夕方からは全面的に使用できるようにします
☆4階自習室は午後からの使用とします。

☆移転に伴い、現在、教室に私物をおいている生徒のみなさんは、金曜日の夜までに必ず私物を箱詰めするか、いったん自宅に持ち帰るようにして下さい。箱は確保します。

以上よろしくお願い致します。
(高木)

センタープレ=センターまで残り40日

 今日、河合塾のセンタープレを受けている生徒が多いと思います。
 すぐに自己採点と結果の分析をしてください。成功も失敗も、それはまだ入試の結果そのものではない。ここから今から何をするべきなのか。それをつかみ出して下さい。

 必ずしも点数だけが問題ではありません。
 まだ演習などカバーしていないところができなかったのは構わない。そこは埋めればいい。センターまで40日。まだ埋められる。
 けれどもある程度しっかりやったはずのところで点数を落としているなら、その原因をはっきりとつかみとること。そこに学習上の課題が顔を出している。必ず対策を、具体的にとること。


 例えば、抽象的に計算ミスをしないように気をつける、などと言ってもダメです。気をつけても出るのがミスです。だから「具体的な対処」が必要です。
 字が汚いとか、紙の上が整理されていないとか、いつも(  )を外すとき符合を間違えるとか、原因や間違い方を掴んで、それを具体的に修正することを追求して下さい。そうした実践的で具体的な努力の積み重ね以外に、これまでつくりあげられてきたものを変えることはできないから。

 とにかく、そうやって「ゴールまでの道筋」を必死に見出し、追い求めて下さい。そのイマジネーションが断ち切られるとき、志望校を諦めなくてはいけなくなる。

高木

狙いすましてゴールへ センター試験まで80日

 センター試験まで残り80日ほど。現役生は冬休みなどを含めても、おそらく1日平均で8から9時間くらいの学習時間だろうと思う。では多めに見ても残りは720時間。これが多いか少ないか、その「見方」は様々にできるとしても、物理的に一つの限界があることは明白だ。

 たとえばある生徒は入試までに英語に投入できる時間が200時間だとかいうことがはっきり見えてきてしまう。長文を読む、英文解釈をする、単語を覚える、2次に向けた和訳のトレーニング、英訳のトレーニンをする、センターを睨んで速度を上げる…そうしたことに費やせる時間がほぼ計算可能になってくる。たとえば長文に投入できる時間は100時間、とか。であれば何問できるのか、見えてきてしまう。そうした時期にさしかかっている。

 問題はその使い方だ。ここからはロストした時間はもうほとんどリカバリーできない。回り道もできない。狙いすましてゴールまでの道を進む。

 まずはゴールを見据えること。過去問を説いて、ゴールと自分の現在地の距離をはかること。そして80日でその距離を埋める道筋が見えたら、相当に頑張れる。その道が見えないなかではやはり挫けてしまう。
 道筋はしかし科学的にはっきりと確定するようなものではない。ある種のイマジネーションだ。こうした闘いは、そのイマジネーションがある限り、前にすすめる。

 けれど、イマジネーションは降って湧いてくるわけではない。必死に目を凝らし、隠された道を見つけ出そうとする人にしか見えない。ダメだダメだとばかり言っているとそれは見えない。まぁ何とかなるだろうとぼんやりと思っていても、見えない。そのどちらも結局のところ80日後、あるいはその後に確実に存在している実際の壁をまっすぐに見ないという点で同じだ。弱点がとても大きなものに見えたりする。けれども冷静に考えたらその弱点は合否にそれほど直結しているわけではないことも多い。逆に、もうほぼ95点くらいは取れる状態の数学をどれほど磨き上げようと、大して点数は上がらない。それも「合格」につながる勉強は言えない。
 そうしたある種のブレを抑えこみ、冷徹に現実をみるのは、時に苦しい。けれど、それをやり切ることが「力」でもあるように思う。合格した受験生たちは、やはり自分の状況とゴールまでの距離と道筋をかなり冷静に捉えていたように思う。そして悲観もせず、楽観もせず、やるべきことをやりきっていく。そのためには、まず「ゴール」を見定めることだと思う。見定める勇気と力を持つことだと思う。


(1) ゴールが見えるまで過去問を解いて分析する。ポイントはその大学のレベルだけではなくて、自分のレベルもあわせて分析する。問題は自分と相手との距離なのだから。

(2) 総時間を意識した学習プランを最終的にはっきりさせる。80日後を睨んで、この1時間に何をするのか。そこまで詰めていくこと。自分で。お仕着せのプランではなく、自分の肌で感じ取れるプランじゃないといけない。そうしたとき、この1時間が80日のゴールラインへの一歩としてしっかりとつながりのあるものに鳴る。

(3) 配点をはっきり意識する。各科目ごとにどのくらいの点数を取るのか、取りたい点数と取らなくてはいけない点数の両方をはっきりさせておくこと。

(4) 日常的なルーティーンを絶対に崩さないこと。単語や基幹的な科目は毎日やること。
 調子を崩すときもある。たぶん、これからの日数の中で1度か2度くらいはある。その時、どん底まで落ち込んでいくケースは、大抵このルーティーンワークが崩れる時だ。
 必死になっている受験生にとって、ある意味で最もストレスになるのは、勉強をサボった時だ。模試で失敗した時よりも、サボった時のほうが何か凹み方が大きいような気がする。精神的に凹んでいる時でも、必死にこの日常的なシステムを崩さないように踏みとどまれば、どん底まで落ち込まないで復活してくる。けれどこれが崩れると調子を崩す→勉強が滞る→さらに凹むというようなスパイラルが始まる。ここには絶対落ちおまないこと。

(5) 調子を崩したら、とりあえず復習を軸にするか、あるいは基本的な問題をやること。解ける、という感覚を取り戻すとかなり違う。まぁ調子がわるい時に強敵とは戦わないこと。あるいはそうした問題を組み合わせてもいい。じゃないと「とける」という感覚が鈍るし、完答して解答をかき上げるということの経験の蓄積ができない。


学習の中での「発見」 ファインマン『物理法則はいかにして発見された』から

 先日のニュートリノが光速を超えたということで文章を書く時に、ノーベル物理学賞をとったファインマンの本(『物理法則はいかにして発見されたか』岩波現代文庫)からの引用した。その時、次のような文章を見つけた。
 
 物理法則が発見されるプロセスについての考察だけれども、それは物理学の研究にとどまらず、ものごとを学び取ることの、受験勉強も含めた学習一般についての示唆を読みとることができる。
 
 
「量子力学は2つの独立な仕方で発見されました。これはひとつの教訓になります。こんども、いや、前にもましてというべきでしょうが、実験によってものすごい数のパラドックスが発見されました。既知の法則からはどんなことをしても絶対に説明できない現象がたくさん発見されたのです。知識が不完全だったのではありません。完全すぎたのです。これはこうなるはずだと予言ができる。しかし実際はそうならなかった。」(p250)
 ここからこの「既知の法則」と実験結果の矛盾を解決するものとしてシュレーディンガーとハイゼンベルクの新しい「二つの哲学的な方法が結局は同一の発見(=量子力学の発見)に導いたのです。」(p250)
 
「一つの理論をめぐる哲学なり概念なりが、理論の小さな変更によってひどく変わることがあるという点です。たとえばニュートンの時間・空間の概念ですが、これは非常によく実験にあっておりました。ところが水星の軌道をほんのわずか直して正しい答えにするために、理論はその性格からして大きく変更されねばならなかったのです。その理由はといえば、ニュートンの理論がとても単純かつ完全であって、明確な結果を生み出すものだったからであります。ほんのちょっとだけ異なった答えをだすためには、完全に異なった理論が必要であった。新しい法則を始めるには、完全なものに傷をつけるのではいけない。別に一つ完全なものを作らねばなりません。そのために、ニュートンとアインシュタインの重力理論の間には哲学的な考え方にどえらい違いができるのです。」(p260)
 
 
 ここでファインマンは、「現象が予言できるくらいに知識が完全であること」、「理論が単純かつ完全であること。そして明確な結果を生み出すものであること」の大切さを述べている。
 これはとてもとても大切な事だと思う。
 
 曖昧な認識は、間違っているとも間違っていないとも言えない。だから修正されることもない。シャープに、くっきりと物事を、あるいは論理を掴むとき、それが適用できない場合、間違いになる場合も、同じ程度にシャープに、くっきりとしたものとして浮かび上がる。そして次の、より包括的な、より根本的な認識と論理にたどり着く条件が生まれる。こうしたことは日々の学習の中でも、ほとんど同じように貫かれている。
 
 学力のある生徒ほど物事を曖昧にしていない。微妙な論理のズレや齟齬に敏感に反応する。まぁだいたいこんな感じという処理をしているかぎり、間違いは表面化しない。それではいけないとファインマンは言っているように思う。
 
 確かに高校までに習っていることは、あるいは受験の中で向きあうものは量子力学とかアインシュタインの相対性理論とか、そうした大きなものではないかもしれない。けれどもよく考えてみると、一人ひとりにとって物理法則は、いや物理法則に限らないけれども、そうしたものは「発見されるべきもの」としてあるとも言える。まだ一人ひとりにとってそれは存在していない。その存在していなかったものを、自分のプロセスの中で自分にとっての「発見」をする。そうしたことが大切なのだろう。誰かに教えられたものwお丸呑みするのではなく、自分が学び取り、見付けだす。それは誰かがやったことだけれども、それを自分のものとして体験していく。そんなあり方を求めていきたい。
(高木)

ニュートリノが光速を超えた??

 ニュートリノが光速を超えた?

 いま、このニュースが駆け回っている。私はTVを見ないから、その騒ぎの大きさはよく分からないところがあるけれども、twitterではとてつもない勢いでコメントが吹き出してきている。
 この実験を行ったのは"CERN - the European Organization for Nuclear Research"という国際的な研究機関の「国際研究実験OPERA」というグループだ。ここには日本からも名古屋大学、愛知教育大学、神戸大学、宇都宮大学なども参加しているらしい。実験に参加した名古屋大の小松雅宏准教授という方のコメントが出ていた。

 できればみんなもこのニュースを追いかけてみたらいいと思う。一生かけてもお目にかかることができないことに出会えるかもしれない。

 いま現役の物理学者なども含めてtwitterで猛然と議論が吹き出しているのも、つい先程、CERNのセミナーが終わったからだ。懐疑的な意見が多い。まぁ当たり前だ。
 ニュートリノが光速を超えた… 細かい内容はニュースなどでも出ているけれども、この結果には実験をした当事者たちも非常に驚いたはずだ。ありえない、と思っただろうと思う。だから半年かけ、1万5000回もさらに検証のために実験を繰り返し、それでもほぼ同じ結果が出るので公表に踏み切ったということらしい。それほどその結果はおどろくべきものだ。そしてCERNでは、すべての実験データを公開するから検討してほしい、と全世界の物理学者に呼びかけている。

 近代的な自然科学の出発点をどこに定めるのかは様々な議論があるだろうけれども、ニュートンの『プリンキピア』がその一つであることに異論はないだろう。『プリンキピア』=『自然哲学の数学的諸原理』、ラテン語の原題を "Philosophiae naturalis principia mathematica" という。"principia"=原理。英語の"principle"だ。1687年に発表されている。近代物理学の軸となる力学は、ガリレイ、ケプラーを引き継いだニュートンが打ち立て、ライプニッツが確立した。さらに解析力学を創り上げたラグランジュや電磁気学を確立するマクスウェル、熱学を切り開いたカルノーらによって近代物理学はその陣容を整えていった。

 その出発点的な位置にあった『原理』が覆されたのが1905年のアインシュタインの特殊相対性理論の発表だった。1920年代にかけてのアインシュタインの一般相対性理論への理論的な拡大とハイゼンベルク、シュレーディンガーらによる量子力学の確立は、近代物理学を根本からひっくり返した。根本から、つまり原理的な転換だった。そこでは空間、時間、質量といった物理量の根幹をなす基本的な概念・量についての定義自身が大きく塗り替えられた。巨視的な宇宙についての考え方、微視的な粒子についての考え方、その両方が一挙に覆されていった。
 時代は第一次世界大戦からロシア革命をへて激動の1920年代。美術や文学でもシュールレアリスムが登場し、音楽でもシェーンベルクの12音階技法などがそれまでの音楽理論の枠組みを破壊した。それまでになかった様々な動きが一挙に吹き出すようにして生み出された時代に現代物理学も出発した。
 そしてその空間・時間などについての全く異質な理論は、デカルト以来の近代的な世界観=ものの捉え方をも突き破るものであり、例えば哲学者のカッシーラーなどはアインシュタインの相対性原理の哲学的意義のために大著を記している。

 アインシュタインの特殊相対性理論は、相対性原理と光速普遍の原理に立脚し、ローレンツ変換とミンコフスキーによる4次元空間の把握を媒介に時間・空間・質量を再定義し、ニュートンの運動方程式を全面的に書き換える。その結果、光速以下の物体を光速を超えて加速させることはできないという結果が帰結されてくる。物体の速度が光速に達した時、その質量が無限大に発散してしまうからだ。そうなると運動方程式で力Fが有限値である限り、加速度aが→0に収束することになる。つまり速度が光速に近づけが近づくだけ、加速できなくなる。ついには加速度がほぼ0になる。つまりは光速を超えることはできない、ということになる。
 そしてこの相対性理論は、マクスウェルの4つの方程式に集約される電磁気学の本質を解明したものでもあり、その意味で「アインシュタインは電磁気学の完成者でもある」(砂川重信『相対性理論の考え方』)。


 ニュートリノにはまだ未解明な部分がある。もしもニュートリノに質量がなければ光速を超えたとしてもアインシュタインの理論を覆すことにはならないかもしれない。質量0なら光速になっても無限大に発散することはないだろう。わたしが学生の頃はニュートリノには質量はないという仮説のほうが有力だった。
 しかしニュートリノに質量はあった。その質量があると確認されてまだ10年ほどしかたっていないが、あった。ほんの微小な質量ではあっても、質量があるニュートリノが光速を越えるとなるとアインシュタインの特殊相対性理論がひっくり返ることになるかもしれない。20世紀の初頭に提唱され、現代物理の基本原理のような位置におかれてきた理論が、その原理において覆るかもしれない。相対論は、いろいろある中での一つの理論というものではない。力学や電磁気学を包摂し、量子論と結びつきながら、現代物理学にとっていわば原理的な位置をもっている。もしその相対論が根本的に覆るとなるとその影響は想像を絶するものがある。


 1965年のノーベル物理学賞受賞の前年、リチャード・ファインマンは講演で物理学の展望について次のようなことを述べていた。

 「次から次へと新しい法則が発見されて進歩が続くとは思えません。」
 「私たちが、まだ発見の続けられる時代に生まれ合わせたのは幸運です。アメリカ大陸発見のようなもので、発見は一回かぎり。私たちがうまれあわせたのは自然法則発見の時代です。こういう時は二度とこないのです。胸踊る興奮。この素晴らしさ。しかし興奮はやがて退いていくほかない。」(『物理法則はいかにして発見されたか』岩波現代文庫p266)

と、物理学という学問の行く末に悲観的な見解を述べていた。ファインマンはおそらく、戦後に活躍した物理学者の中で屈指の理論物理学者だったと思う。そのファインマンだからこそ、物理学での大きな根本的な法則の発見はもうないのではないか、という思いを抱いていたのかもしれない。実際にファインマンが同書で続けて述べているように、基礎科学のもっとも先端的で活発な分野は物理学から生物学に移ってきたようにも思えた。

 あたり前のことなのかもしれないが、アインシュタインにも、ファインマンにも、物理学者の誰にも予測もつかなかったような時代が、ひょっとするとやってくるのかもしれない。そうした「発見の続けられる時代に生まれ合わせたのは幸運」を感じることができるのかもしれない。もし本当にニュートリノが光速を超え、相対性原理が根本においてくつがえるのであれば、それはとてつもない「胸踊る興奮」の幕開けかもしれない。君たちはそれを目の当たりすることが出来る、あるいはひょっとしたら参加できるかもしれない世界に生きている。
(高木)

言葉を大切に

 言葉を大切に。学ぶことの過半は、言葉を学ぶこと、学び取ることのように思う。
受験勉強などという中途半端な幻想に囚われないでほしい。数学に受験用などない。物理に受験にだけ存在する法則などない。英語は、英語以外ではない。まっすぐにその内容を学び取って欲しいと思う。
 
 言葉は社会的に存在している。言葉の向こう側にはかならず人間がいる。人間が人間に何かを伝えようとしている。ときには自然を指し示しながら、ときには社会を、その歴史を指し示しながら、何かを伝えようとしている。それはどんな教科でも例外ではない。ことは現代文や古文・漢文だけのことではない。数学にも、物理にも、化学にも、生物にも、人間と自然の、あるいは人間と人間の格闘の歴史があった。ピタゴラスは自然数に宇宙をみた。ガリレオ・ガリレイは異端審問にかけられた。ケプラーの母親は魔女狩りにあい、火あぶりにされた。キュリー夫妻は放射能の被曝で死んだ。

 学校で学んでいることが、どれほど干からびて見えようと、どれほど実生活に役に立たないように思えようと、君たちが触れている言葉の、数式の、法則の向こう側には生きた人間がいた。そこにたどり着く糸の切れ端を手にしている。
 それをまっすぐにたぐり寄せつつ、見たことのない世界に分け入っていくこと。そうしたことを願う。

 

9月20,21日の教室 台風15号に関連して

 台風15号にともない現在、大雨洪水警報が発令され、名古屋市内109万人に避難勧告が出されています。台風は明日の午後に最接近するようですが、教室自体は開ける予定でおります。個別も今のところ中止にする予定にはしておりません。生徒さんや保護者の方の判断で教室に来るかどうかはお決め下さい。

 またお休みの場合は、早めにご連絡をお願いいたします。
(高木)

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℡ 052-222-3886

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