■基本的に受験体制に入ること
① センター試験まで330日。
直接に受験を視野に入れた指導として軸を明確に打ち立てること。
② この点について
生徒とはっきりした意志の確認をすること。(押し切ったところで意味はない。)
③
講師がまずもって受験と生徒の現状を見据え、まずはその壁の厚さに戦慄してもらいたい。その実戦的な感覚なしに指導行為は成立しない。生徒の自覚に全てを委ねない。そうすることは指導を無意味化させる。
■全体的なイメージの共有を
①
ゴール地点のイメージをできる限りはっきりさせる。志望校が決まっていたら、それを踏まえて。決まっていなければどの程度のレベルかを明確にさせる。
→本人との議論が必要。
①-2 どういう学習になるのか、
一定の全体像を、イメージとしてでも描き出せればそれが良い。いつまでにどういうことをやらなくてはいけないのか。例えば、問題集はどういうレベルのものまでやらなくてはいけないのか。そうしたことが出されて、初めて生徒は
これからやらなくてはならないことの総量がある程度わかる。そして今やるべきことが見えてくる。またそうしたことが
指導として必要になる。
② 特に、推薦・内部推薦を考慮しているか、外部受験なのか、は明確に。→定期試験対策の位置づけにかかわる。
③ 推薦を考慮していない場合、
定期試験の対策に走り過ぎない。また生徒を走らせない。受験に向けた準備と一環として位置づける。この点は妥協しない。逆に無視しない。
ただの定期試験他のためだけの学習にさせない。やるからには実のあるものにする。
→
要は生徒の学習の総体をはっきり視野に入れ、その全体の力をゴールに向けて収斂させていくこと。
■課題を明確に
① 学習でも何でも、指導する側とされる側において、講師は指導する主体として現れるが、学習する主体は生徒にある。生徒だけが主体ではないし、講師がすべてを決するのでもない。その両者がかみあってはじめて有機的な取り組みができる。
そこにおいて、
-
全体像の共有(受験までのプロセス。なすべきことの全体像)
-
課題、問題意識の共有(その生徒の乗り越えなければならないこと。例えばモティベーションであったり、丁寧さであったり、復習の有無であったりする)
が必要となる。
全体像が見えないならば、生徒は
今やっていることの意味を見失う。意味を見失うと必然的に言われるがままに学習するだけになる。また課題や問題意識が共有されていない場合は、最悪の場合、指導が空中分解する。
② その生徒の課題は、
単に講師が指摘するだけでは足りない。ポイントは、本人がどこまで深くそのことを自覚するのか、また自ら自分の課題にどこまで迫ろうとするのか、にある。指摘されただけの「課題」はおよそ解決しない。またその課題が自分自身の長年にわたって積み重ねてきたもののドラスティックな転換を求めるものであるなら、それに
立ち向かう強い覚悟、場合によっては痛みを伴うような覚悟がなければ解決しない。
講師は、生徒と課題を共有し、ともに立ち向かってもらいたい。一歩も引かず、妥協せずに格闘してもらいたい。
高木
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