言葉を大切に。学ぶことの過半は、言葉を学ぶこと、学び取ることのように思う。
受験勉強などという中途半端な幻想に囚われないでほしい。数学に受験用などない。物理に受験にだけ存在する法則などない。英語は、英語以外ではない。まっすぐにその内容を学び取って欲しいと思う。
言葉は社会的に存在している。言葉の向こう側にはかならず人間がいる。人間が人間に何かを伝えようとしている。ときには自然を指し示しながら、ときには社会を、その歴史を指し示しながら、何かを伝えようとしている。それはどんな教科でも例外ではない。ことは現代文や古文・漢文だけのことではない。数学にも、物理にも、化学にも、生物にも、人間と自然の、あるいは人間と人間の格闘の歴史があった。ピタゴラスは自然数に宇宙をみた。ガリレオ・ガリレイは異端審問にかけられた。ケプラーの母親は魔女狩りにあい、火あぶりにされた。キュリー夫妻は放射能の被曝で死んだ。
学校で学んでいることが、どれほど干からびて見えようと、どれほど実生活に役に立たないように思えようと、君たちが触れている言葉の、数式の、法則の向こう側には生きた人間がいた。そこにたどり着く糸の切れ端を手にしている。
それをまっすぐにたぐり寄せつつ、見たことのない世界に分け入っていくこと。そうしたことを願う。
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