こんなことを教室のブログに書いて良いものだろうか、とちょっと迷わないではなかった。けれども、書こうと思う。何も飾ろうと思わないし、何も隠そうと思わない。
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この春で佐竹、宇田、竹内の3名の講師が辞めることになった。
苦労を分かち合った講師たちだ。旧教室の立ち上げ段階からの講師たちだ。
このブログだけでは分からないと思うけれども、わたしたちは3年前に親会社の倒産=教室閉鎖という事態に直面した。
2006年。私は名古屋で新規に高校生専門の予備校を立ち上げたいから教室の責任者としてきてくれないか、というオファーがあり着任した。5月だった。その1年後の4月には3人の卒業生を出した。一人は推薦で中京大学の心理学部に進み、あとの二人がいま講師をしてくれている石川君と教務の兼岩さんだった。彼ら、彼女らを送り出した4月から3ヶ月もたたない、6月25日、一枚のFAXが本社から流された。「荷物をまとめて教室を閉めるように。あとのことは弁護士に任せるように」とされていた。もう3年ほどになる。
このFAXの段階では本社に電話も通じなかった。弁護士事務所に何度も電話したが回線がいっぱいになっているようで、つながらなかった。名古屋校は収支で言えば非常に優良だったと思う。ほとんど退会のでない教室だった。けれどもどうしようもなかった。
その日、本当はもう閉めていなくてはいけない教室に、まだ残っているとき、生徒と保護者の方が数名こられた。営業内では居留守を使うべきだという意見もあった。けれども結局、現場の判断で対応し、分かる限りの状況を説明した。
大きな非難が私に突きつけられた。当然のことだった。
一方、その場で2名のお母様から「教室を存続して欲しい」という要望が出された。受験生のお母様方だった。生徒もいた。私は涙を抑えることができなかった。もうこんな教室は2度と作れないとも思った。その教室はただ勉強を、ただ受験の技術を教える場ではなく、人間と人間の魂のようなものがぶつかり合い高熱を発するような、そういう場所にしたかった。そうなりかかっていると思っていた。すべてを投入して作り上げつつある教室だった。
その会社の営業スタイルのため、授業料や教材費は前払いで払い込まれていた。その返還をめぐって、あるいは教室の今後をめぐって大きな問題が発生した。営業職員、マネージャーはすべていなくなった。
私ももうすべて終わりかと思った。
けれども大きな力が背中を押してくれた。生徒への責任もあった。ここで逃げたら一生、私は陽の光の下を歩けないと思った。それにふだんえらそうなことを行っている私がここで逃げたら、生徒たちは「しょせん、大人なんてそんなもの」と思う。それはどうしても耐えられなかった。
現状の生徒への連絡だけはつけないと、とパソコンにはり付き、ブログを立ち上げ、情報を配信し始めた。激しい非難も浴びた。ブログ上は激しい応酬にもなっていた。そして2週間後くらいに保護者の方々の50名か60名くらいの集まりをもつことができた。そこから保護者の方々の被害対策の具体的な行動がはじまっていった。
そうしているあいだ、受験生が放り出されていた。何とかしなくてはいけなかった。
生徒のご両親がやっているお店、公共の場所、講師の関係の囲碁教室。そうしたところを渡り歩きながら必死に指導を維持しようとした。「教室という箱がなくても、生徒と講師がいれば授業はできる」と信じた。佐竹はその時の私のことばを覚えてくれていたらしい。先日、最後に手紙をくれて、そのことが書いてあった。
佐竹、竹内、宇田の3人は、あの当時、どんな無理もおして教室存続に動いてくれていた。文字通りの意味で「献身的」だった。
そして生徒の保護者の方の一人が出資者になってくださり、いまの教室が立ち上がった。
不思議な気持ちだった。
保護者の方の支援、教室再開を待ってくれていた生徒立ち、その応援、献身的な講師陣…。何とも言えない見えない力に背中を押され、力を得て、この教室は立ち上がった。
ここは人間の力が集まり作り上げられた場所なのだと強く思う。私の力でもなく、誰かの力でもなく、様々な力が一つに集まりつくりあげた、小さな奇跡のような場所のように思う。彼らの力がなければ、この場所は存在していない。
先日、倒産に際して立ち上げたブログを読み通した。
胸が痛んだ。私は以前の教室の保護者の方に、生徒のみんなに対してもっと背負うべきものがあったと思う。「教室閉鎖のショックで子どもが下を向いてしまっている」というメールも読み直した。私は彼に何をしただろうか。新教室が立ち上がって、そのハードワークの中でやるべきことをやりきれていなかったと思う。胸の中に焦げ付くようなものが広がった。いまも広がったままになっている。
でも、だからこそ、この場所を守り、育て上げて行かなくてはいけないのだと改めて思う。
今年、浪人となってしまった生徒が4人いる。そのうちの3人が、元の教室からの生徒たちだ。ごめん。君たちにとって私はよい講師だったのだろうか? 胸の中に渦巻くものがある。もっとできることがあったような気がする。もっと何かあったような気がする。生徒の中に必ず可能性が宿っているのなら、私はそう信じているのだけれども、そうであるのなら、失敗に終わった結果にたいしてどうしても苦いものが残る。そしていつも「何かなかったのか?」と思い続けることになる。
この春の受験でほぼすべての旧教室の生徒が卒業した。
先日の筑波大学の医学群(医学類)に合格した生徒もその一人だった。少しは私も報いることができたのかな、償えることができたのかな?
春になると必ず成功・失敗の結果が出る。そして生徒たちが卒業していく。そのたびに様々な思いが胸の中を渦巻く。私で良かったのか?、ここで良かったのか?といつも思う。生徒と一緒に闘ってきたとは思う。死力を尽くしたとは思う。けれども、ただむやみに苦労させただけではなかったか、と思うこともある。もっと伝えるべきことがあったような気もする。
けれども前に向かって、解き放つようにして送り出さなくてはならない。未来ということばを希望ということばの同義語にするのは、これからの君たちの力だよ。がんばれよ。負けるなよ。
佐竹、竹内、宇田はそんなこの<場所>を、一番最初から、倒産という巨大な自体を越えて一緒に作り上げてきてくれた講師たちだ。
なのにいつも横柄で、文句ばかりつけていたような気がするな。申し訳ない。
でも、私は君たちに支えられてきたのだと本当に思うよ。君たちがいなかったら、きっと私はここにはいない。心から感謝します。ありがとう。
これから一人ひとり違う道を歩むけど、頑張れよ。私ももうちょっと頑張るよ。まだ負けないさ。
ほんとにいままで、ありがとう。
教室長 高木敏行
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