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大学1年生の時。教養課程用の物理の講義をとった。そのときの講師が豊田利幸教授だった。
第1回講義のシーンを鮮明に覚えいている。度肝を抜かれた。大学とは何と恐ろしいところだろうと震撼した。
1年生の第1回の講義の冒頭はこういうことから始まった。
Pr.豊田「諸君の物理の講義をこれからはじめます。ここには中国からを含めて幾人かの留学生もおり、一緒に受講しています。そこで平等を期すために、授業を何語で行うのか諸君らで決めてください。英語で行いますか?ドイツ語、フランス語、留学生がいるので、中国ですか?それとも日本語で行いますか。どれで行うか選んでください」
学生、沈黙。凍り付いたような空気というか何が起こっているのか事情が把握できないというか、そういう空気だった。
…ドイツ語?中国語?どういうことですか、それは?????
Pr.豊田はここで物理学というもの、自然科学というもの、学問というものについて何か話されたと思う。うっすらと記憶があるが、あるいはそれは別の時の話が混入しているかも知れない。
そして再度、Pr.豊田が学生に返答を促した。
答える者がいない。
それはそうだと思う。1年生が大学に入っていきなり「何語で授業をしますか?」と聴かれたのだから驚くほかない。何を尋ねられているのか、全く分からなかった。ただただ「いったい大学と言うところはどういうところなんだ?」という感覚だった。
しかも教授の雰囲気はとてもじゃないけれど冗談を言っている雰囲気ではない。豊田教授の授業で私は一言も冗談というものを聞いたことがないと思う。そういうタイプではない。
そしてついに彼は「では私が決めても良いのですか?」と言い出した。誰か何か言ってくれないかな、と思っているとき一人の学生が「あの、やっぱり日本語でお願いします」といったと思う。さすがにマズイと思ったのだろう。
Pr.豊田「他に意見はありませんか? 日本語で構いませんか?(一同、沈黙) わかりました。では授業は日本語で行います。」
講義室に安堵の空気が流れた。けれどもそれはまたすぐに別のものに変わっていった。
Pr.豊田「では、学生諸君からの要望で講義は日本語で行いますが、中国からの留学生たちと公平を期すために、テストは中国語で行います。」
中国語?え?
教室がざわめいた。冗談とも思えなかった。
半年後、前期のテストがあった。
確か、1問は積分して球体の回転モーメントを求める問題だったと思う。他にも1,2問あったかな?
問題文はすべて中国語だった。彼は有言実行の人だった。
最近、古本で豊田氏の本を2冊購入した。
一冊が『物理学とは何か』(岩波書店)。もう一冊は中央公論社の『世界の名著』のシリーズの21巻、『ガリレオ』。
この『世界の名著』のシリーズは、通常、前書きとして60、70ページくらいの解説が掲載されている。その思想家の概略が描き出されそれを踏まえた上で原典を読もうとするものだ。いくつかもっていたし、読んだ記憶がある。
しかしこの『ガリレオ』はかなり様相を異にする。
冒頭の解説は「ガリレオの生涯と科学的業績」と題され、216ページに及ぶ大論文となっている。小さい文字の2段組の紙面だから通常の判組みの本であれば優に300ページを超えるような論文だ。
それの補注を見ていて驚いた。
彼はガリレオの主著「レ・メカニケ」をどうやら原典から訳出したらしいのだ。ということは豊田氏は英語、ドイツ語、フランス語、中国語以外にイタリア語、さらにはラテン語もある程度はできるということになる。おそらくロシア語もできるだろうと思う。核物理の文献でロシア語のものがある程度あるからだ。
(ラテン語というのはイタリア語の古語みたいなものです。ルネッサンス期まで学問的世界はすべてラテン語が支配していた。ドイツ語や英語の学問的な、神学的、哲学的な著作は基本的に書かれていない。それらは俗語として、神聖な書物を書くに足りる言葉だとは考えられていなかった。ニュートンの「プリンキピア」もラテン語です。英語ではない。)
物理学者ですよ、彼は。唸ってしまった。ラテン語まで読める物理学者が一体どれほどいるだろうか? 私は寡聞にしてしらない。唯一、もともと理論物理の研究者だった山本義隆氏が「磁力と重力の発見」「16世紀文化革命」という中世から近代への転換点を捉えた浩瀚な書物を書く際に、ラテン語を勉強したらしいが、そのくらいしかしらない。
恐らくは豊田教授のガリレオへに対する関心の強さ、その内部を捉え尽くそうとする情熱の強さが言葉の壁を越えさせたのだろうと思う。強い意志と、激しい知的欲求だと思う。
しかしそれだけではないことにきがついた。実はこの姿勢の根っこに彼の自然科学へのスタンスと共通するものがある。
最近というのは、この「ガリレオ」を手にとってということ。つまりはこの10日くらい前に気がついたと言うことです。
先に書いた第1回講義の冒頭シーンは、ずっと私の脳裏に強烈な印象とともに焼き付けられてきたものだけれども、それが自然科学への態度と同じだということに20数年を経てようやく気がついたというわけだ。
豊田先生、すいませんでした。やっと気がつきました。
では、自然科学とは何か、そして何が共通するのか。
これはまた続きで。
(高木)