さまざまなことで何かを身につけるにはやってはいけないようなタイプのことがある。スポーツでも、音楽、例えばピアノだとかでも、おかしなクセを付けてしまったのを修正することよりも、まっさらの状態からキチンと練習するほうが早く上達することは珍しくないのだろうと思う。
実は学習もそうなのだとつくづく思う。
この教室に魔法のような方法や内容があるわけではない。ただ当たり前のことを当たり前のようにやり続ける以外に身につけることはできないことを、妥協せずにそう言い続けるしかない。
気をつけて欲しい。
学習するほどに、その学習の対象の何かを壊してしまっていることだってある。学習するほどにマイナスを積み重ねていることだってある。
生徒には良く言うけれども、数学、物理、化学…に、数学、物理、化学以外の何か特別の受験用の論理や知識があるわけではない。「問題を解くための数学」というようなものはどこにもない。これは全部の教科に言えることだけれども、ただ受験は時間と内容に一定の制約があるだけで、別の法則があるわけではない。だから数学ができるようになりたければ、数学の勉強をするしかないのに、数学とは違う「受験数学」というものがどこかにあると思っている生徒があまりにも多い。そういうものを標榜している人たちがあまりにも多い。その「受験の何とか」というものが、本来のあり方を壊し続けているのだということを肝に銘じて欲しい。
3年生は、修正が必要なら、これまでの勉強で壊してきてしまったものとたたかわなくてはいけないし、1,2年生は、「数学なんか理解しなくても、問題が解ければいい」という発想には絶対に陥らないで欲しい。
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