合格体験記 桜井 麻衣
昨年の今頃私は浪人することが決まり,高木先生に「このまま勉強を続けても受からない。」と正直に言われました。高3のときVeritasで教えてもらって私は何を学んだのか,何ができるようになっているのか,いやまだ教わり足りないと感じてたのも事実でした。だから高木先生に言われたとき,私は変わろうと決心しました。
具体的にはまだ何をどう変えたらいいのかわからなかったときに受けた模試でついこの間やった問題とそっくりな問題が出たのに解けないという失敗をしました。できないってどういうこと?と自分を責めました。このことから復習の大切さを知り,次に必ずできるようにしました。勉強していて行き止まりになったり,何か進んでないと感じるとき私の場合は復習が足りませんでした。一つ一つ出来るようにならないと進めないのです。
高木先生にはたくさんお説教されたり指摘されました。
例えば,人の話をきけ,恥を捨てろ,もっと叱られろ,甘えるな,壁にぶつかることを恐れるなとかです。一番心に残っている言葉は,私が自分の殼に閉じこもっているというものです。始めは意味がよくわからなかったけどその後的を得た言葉だと気付きました。私が変なところで我慢してたり,頑固だったりして殻に閉じこもって相手に踏み入れさせなかったから,他人の文章が読めなかったり,参考書などの解答が入ってこなかったりしてたのです。一見私の性格上の問題に思えてその実,勉強にもつながってました。Veritasで私は勉強を教わるだけじゃなくてもっと生きる上で大切な(言いすぎかも……)ことを学べたと思います。だから生徒の皆さんが高木先生や講師の方に何か言われたとき,自分でもよく考えて素直に受け入れてみればいいと思います。きっと何かつかめると思います。ファイト!!
最後になりましたが高木先生,滝ノ瀬先生,講師の方々お世話になりました。
さらっとした合格体験記になっているが、本当はこんな簡単なものではなかった。私も、数学、物理、現代文、小論文と4教科を直接見ていたからなかなか大変だった。かなり不器用だったし……
けれども、彼女の最大の課題は、学力ではなかったかもしれない。学力の底にある、彼女自身のあり方のようなもの、張り巡らされそのなかで窒息しそうになっている壁のようなもの、それを全力で覆さないといけないように思えて仕方なかった。
現役の時から強くそれを感じていたけれども、どうしても今ひとつ深く指導できなかった。指導が入っていなかない感触が強くあった。これには強く反省している。申し訳ない。
また、医学部と本人はいっていたけれども、本気でどうしても医学部、という執念のようなものも持っていないように思えた。
けれども現役の時、ひとつだけ確信を持てることがあった。櫻井さんは医者になるべきだ。どんなことがあってもなるべきだ。それは資質というようなものではなく、ここでは書くことが出来ないけれども、彼女自身のある壁の突破のためには、医者になるべきだと強く確信を持つことがあった。たぶん、この確信が次の一年の指導の原動力だったと思う。
実は、医学部受験も本人はけっこう揺れた。志望校もかなり暫定的に決まった。温かいところがいいなどという、それはそれで素敵な理由ではあるが、九大に決まった。九大に決めるために1日休んで大学をみに行かせたこともあった。まぁちょっと無理やり決めました。
そうしてやっと始まった。
本人も変わりたいといっていた。けれども変われるかどうかわからないと不安を漏らしていた。そのピークは9月だったか。多分、家族の人も知らないのではないかなと思うけれども、医学部受験どころか受験そのものを辞めるかどうかという危機に直面することがあった。必ず戻ってくる、とは言い切れない、そういう深刻な危機だった。
いろいろな意味で、いろいろなことをよく越えてきたと思う。よく走り通したと思う。
本当は九州大学を受けても勝負できたと思う。現役生だったら突っ込んでいたかもしれない。たぶん、五分五分くらいの力はあった。けれども浪人生は8割、9割、まず間違い無く大丈夫というラインまで持ち込まなければ勝負できない。そこで長崎に落とすことにした。
それでも国公立の医学は紙一重の争い。楽勝ムードはなかった。
けれどもひとつだけ確信を持っていたことがった。それは、櫻井さんは、この受験を通して大きく変わってきた。人間的に変わったと思う。けれども、その総仕上げとして、合格というひとつの関門をクリアすることで一挙に花が開く。そのことについてかなり強い確信があった。まぁだから「合格する」というわけではないけれども、「合格しなければいけない」と思わせるものがあった。
……ここまで書いてきて、ふと思ったけれども、これ、合格体験記の本文より長いですよね? なんだか「指導体験記」みたいになっている。いいのだろうか? まぁ仕方ないか。
本当に良く走りきった。
本人は、どう思っているのだろう? 長かっただろうか? そうでもなかっただろうか? 私も浪人の一年間は、いままで生きてきた中で結構、印象的だ。浪人して良かったし、悔いもない。それ以上に、何かの糧になっているように思う。
受験はたかだか受験です。
けれども、それはその人の本気のパワーを搾り出さないといけないようなものです。だからその人の在り様まで篩いにかけたり、大きく変えたりもすることがあります。
きっと苦労した分、何かいいことがあるに違いないと思うよ。
良い医者になることを確信しています。がんばれよ。
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