僕がVeritasに入るきっかけとなったのは、母の「高校に入ったら単位がとれなくなって留年するよ」という強い脅し文句からでした。
このころの僕は特に勉強に対して不真面目でどうやって勉強から逃げようかについてばかり考えていました。英語と数学は手がつけられないくらいひどく、<分からないところが分からない>状態でした。数学は受験では使わなかったのですが、多分、二次関数で止まっていて、英語は1月2月などの単語も書けなかったと思います。
この状態から抜けだすために中学英語を徹底的に総復習、と言うよりも知らないこと(やったはずなのに記憶がないだけだけど…)がほとんどで辛かったです。アメリカン・フットボール部で3年の春まで部活をやっていたので休みの日の火曜日・木曜日を塾にあてましたが、正直ハードな部活だったので塾で出された宿題以外のことは何一つ出来なかったです。
でもこのコツコツと基本的なことを反復していくという勉強のおかげで部活を引退した6月からの勉強の土台が作れました。7月には今までやってきた数学を捨てて日本史に切り替えました。塾の方針とは違う選択をしましたが、嫌いな数学というイメージがまだ強かったのでそれならまだ日本史という考えがあったのかもしれませんね。
夏休みを越えたあたりで英語の長文を読むのに2倍くらいの時間をかけてたので、どうにかしないと受験で話にならないとなり英語に一日の半分の時間を費やしました。そのおかげで英語の苦手イメージはほとんど無くなり「読める英文なら好き」の状態にまでなれました。受験直前には国語がスランプになって6割のあたりをさまよいましたが、本番ではベストを尽くせたので良かったです。
Veritasは、定期テストでは350人中300位以上をとったことが一度もなかった僕を、受験で勝負の土俵に上がれるほどにしてくれました。この塾に入らなかったら今頃全部落ちて浪人して惨めな思いをしていたと思います。
最後にはなりましたが、高木先生、滝野瀬先生、中根先生、石川哲先生、その他の講師の皆さん、ご指導本当にありがとうございました。
(東海高校 S.K)
蛇足になってしまうけれども、若干…
最初は本当に、本当に大変な状態だった。彼も書いているけれども、曜日や月の英単語がかけず、不規則変化する動詞も覚えていない。そういう状態で、中学英語の最初からやり直していたのは高校2年生になってからだった。しかも、そのころはまだイヤイヤやっているような気配があった。どこか諦めているような気配もあった。どうせ浪人かな、というような空気も感じないではなかった。課題をナントカカントカこなしている、という状態だったように思う。何がなんでも2年で間に合わせる、ということで、担当講師にはかなりプレッシャーをかけた。かなり激しい檄を講師にとばしたこともあった。それは彼の指導のファイルに記録されている。
転換を感じたのは3年生の4月くらいだっただろうか。
単語テストが始まった。英語の総合力はまだまだ足りなかったけれども、単語を覚えることなら出来る、そう思っていたのかもしれない。単語テストが始まって、点数が低いことをかなり悔しがっていた。それまでみたことがない姿だった。本人はあまり覚えていないみたいだけれども、一つの手応えを感じる出来事だった。
しかし、まだ早稲田に届く道が見えたわけではなかった。数学を捨てて日本史に絞り、その後、一点、早稲田を見据えた学習にシフトしていった。早稲田以外には目もくれない、それ以外のものはすべてそぎ落とすんだ、という議論を本人、講師を交えて行なった。
本当にぎりぎりの勝負だったと思う。あまりやりたくない「ギリギリの勝負」だった。
勝因は、たぶん、彼自身の「早稲田に行きたい」という気持ちが最後までブレることがなかったことだろう。どれだけ遠くにみえようと、早稲田に行きたい、という一点が崩れることはなかった。それがすべてを支えたと思う。
学力が合格を作る。確かにそうだけれども、その学力をつくりだす原動力は、きっとこうした<意思>、揺らぐことのない意志なのだろうと思う。と、こうきっぱり書くと、本人はきっと照れると思うけれども、でも、そうした意志が早稲田に挑戦する力を生み出したのだと思う。
おめでとう。
大学に入ったら、もっともっと勉強するように!!!!
(高木)
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