夏休みが終わり、ロングスパートのような過程に入ります。もう入っています。
センターが終わって泣くようなことになるくらいなら、今のうちに泣いた方が良い。そういうプロセスです。
志望校の過去問をキチンと時間を計って一度やってください。そして壁に直面してください。跳ね返されてください。ロングスパートのバネにしてください。
そしてじっくり検討してください。
何が浮かび上がりますか?その根っこに何がありますか?
自分の弱さです。学力としての弱点とはちょっと違う弱さです。怠けていたところ、嫌いで逃げていたところ、言い訳をしながら先送りしてきたところ、そういうものがそこに潜んでいます。頑張っている、やっている「つもり」の自分ではない姿が浮かび上がります。
その自分の姿を引き受けて、越えてください。その強さと激しさが絶対に必要です。
受験は単純な勉強ではありません。ひとつの勝負の場です。どんなことがあっても自分の意志で、自分をその目標にねじ込む、腕ずくででもねじ込む。そういう場です。入れたらいいなではなく、入るのです。
ある講師は、夏休みに15時間やり続けたそうです。そして学校が始まってからも、自分の目標に向かって学校の授業を放り出して1日12時間以上やり続けたそうです。半年で偏差値が20くらいアップしたのではないかな? それは可能なことなのです。
学校の授業を放り出すことが良いかどうかはいろいろあると思います。けれど、大切なことは、その決断です。あるいは覚悟といった方が良いかもしれない。その強さが壁を突き破るのです。
けれど、その前提は、おかしな言い方に聞こえるかもしれないけれど、しっかりと壁にぶち当たることのように思います。その衝撃から反転していくときの人間の強さ、激しさが、一回り自分を大きくして、ひとつ上の段階に自分を押し上げるのだと思います。
私は浪人しました。もともと偏差値で42くらいしかなかったからね。高校も国公立などめったに合格しないところだったから。
でも10ヶ月で30くらいアップさせました。
素粒子論と宇宙論をやろうと思って目標を決めました。その後は、いけたらいいな、などとは一度も思わなかった。そこにたどり着くことだけを考えていました。予備校の授業ではカバーできない現状と目標のギャップをどう埋めるのか、どうやったら一直線に進めるのか、何が足りないのか、何ができるのか、試行錯誤しながら考えて続けていました。そのためには授業料を払った予備校の授業をすべてボイコットしました。教務に何を言われようと6月半ばから一切出ませんでした。その授業に出ていて合格できると思えなかったからです。それはひとつの覚悟だったし、決断でした。ある意味ではあのとき、合格が決まったのかもしれない。
合格しか考えていなかったから上智などには合格したけれど、入学金などは払いませんでした。退路を断ったところに自分をおこうと思っていました。これが最後の決め手だったのかもしれない。勧められる方法ではないけれど。
まだまだこれからです。
その例の講師も(勝手に例にして申し訳ない)、4,5日に1本くらいのペースでボールペンか何かを使い切っていたようです。私とほぼ同じくらいです。
そこまでやってますか?勝手に自分で自分の限界を決めていませんか? 確かに限界は、本当はどこかにあるのかもしれない。けれど、ほとんどの人が、その限界まで到達しません。そうではなくて、自分で勝手に限界を決めて、そこで自分で諦めたり、立ち止まったりするのです。
私は、本当に本気になったときの人間の、無限大に思えるようなパワーと可能性を信じています。それは必ずあるのだと思っています。ただ、中途半端な努力ではそれは表に出てこないけれど。
それを発揮してみてください。
自分の未来と人生は自分が変えるのです。自分自身の力で変えるのです。それができた生徒が、はじめて本当の受験の勝負の場に立てるのです。
ここからです。
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