受験にむけて舵を切りましたか?切り始めましたか?
頭ではもう1年切ったんだなぁと思っても「実感がないンだよね」という声も聞きます。確かにそうかも知れないね。
けれど大切なことですからよく考えてください。
受験は、生徒の思惑では左右されない一つの社会的な仕組みです。そこには君たちの「実感がある」とか「まだないんだよね」とか言うことが入り込む余地がありません。物理的に時間は刻まれていき、そして本番がやってきます。
だから「実感」はその客観的な状態に自力であわせてください。ここに受験に成功するのかしないのかの最初の、そして最大の分岐点があるのです。
「実感がないんだよね」というのは、受験を、ひいては社会を「自分を物差しにして」はかろうとすることです。判断基準が自分(とその感覚)になっています。しかしそれが通用しないのです。
社会の、大学が課す入試というものの判断基準、その土俵の上で勝負するのです。このことをしっかり理解し、つかみ取ることで勝負の半ばは決まると思ってください。それほど重大なことなのです。
良くこんな話をします。
30キロを歩かなければならないのなら、歩くしかない。30キロは泣こうが喚こうが10キロにはならない。
そういうことです。君たちがこれからぶつかるのは、そうした厳然たる事実の世界です。事実は「思い込み」では動かず、そこに立ちはだかるのです。
だから「気分で勉強してはいけない」のです。
「やる気がない、やる気が出ない、実感がわかない」…
そういわれたら私は「そうかぁ、どうやったらやる気が出るだろうね」とは言いません。
「やる気があろうが、なかろうが、やるべきことをやりなさい。」 つまり30キロ、足が痛かろうがお腹がすこうが、歩ききるしかないなら歩きなさい。そういうことです。
ただ「やる気があった方が楽しくやれる」「勉強が好きになった方が身になる」ということは事実です。
どうせやるしかないんだよ。だったら「いやだ」「キライだ」「できない」と100回言ったところで仕方ないのなら、言わないようにしよう。
ネガティブな言葉は自分にはねかえる。自分自身に「いやだ」「きらいだ」「できない」と毎日毎日言い聞かせていいことなんてあるわけがない。この積み重ねは想像をはるかに超えて大きな差になるんだよ。
判断の基準を「自分の感覚」においてはいけない。少なくとも当分はダメです。それをどこに到達したいのか、そのためには何をなすべきなのかに基準をおいてください。そうすることではじめて受験生になるのです。受験という仕組みとたたかうことができるのです。
私たちから見ていて、あ、やっと受験生になったなと思うのは、勉強の時間が増えたとか学力がついたとかということ以上に、本人自身の判断基準が、「なすべきこと」「必要なこと」に置かれるようになったときです。
ハッキリ言えば、
感覚そのものを変えてしまうことです。自分自身を変えてしまうことです。
そうなると、
「最近、頑張ってるなぁ。だいぶ勉強時間も増えたよね?」
「まぁ確かに増えたけど、まだもう少しできると思うし、まだ※※の科目は基礎力が足りない気がするから、テキストをもう一回最初からやろうかなと思ってるんですよ」というような会話になってきます。
こんな時に「お、受験生になったな」と思うのです。
意識的にものの考え方、捉え方、感じ方を転換していってください。
そして平日で5,6時間、休日は10~12時間くらい勉強しても「それが当たり前」と感じられる自分のあり方をつくってください。なってしまえば楽だから。最初はちょっとツライかも知れないけどね。
そうした転換をこの春に生み出してしまいましょう。
そこからが本番です。
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