私はもともと物理学専攻でした。
浪人が決まった3月か4月ころ、『クォークから宇宙へ』(という表題だったと思う)という本を読んだ。素粒子論と宇宙論がどのように密接に関わっているのか書かれていた。ごくごく小さな粒子について何かが発見されると宇宙についての理論的な認識が大きくつくりかえられる。ワクワクした。その本の中に丹生潔教授(当時)の研究が書かれていて物理やるなら名大にしようと思った。それまでは工学部志望だったが、物理そのものを勉強したいと思い始めた。こんなところに書いて良いのかどうか分からないけれども、物理の模試の偏差値38から物理学科志望するという、まぁ、暴挙に近いものだった。
いまも物理の本を読む。関心はどうしても動力学的宇宙論の形成・確立史方に傾きがちだけれども。
大学に入ったときのことをいまも覚えいている。4月、アパートは川名中学の近くにあり、校庭に桜が咲いていた。道に落ちていた桜の花びらが風に吹かれていた。その時、ある瞬間、ほとんどの花びらが縦になって一斉に転がりはじめた。それまで不規則にひらひらと翻っていたのが、あるスピードになったとき、十円玉がコロコロ転がって行くみたいに転がりはじめた。
何百という花びらが、ある瞬間、一斉に地面に垂直になって、転がりはじめた。ざざーっと音がしたような気がした。一つひとつの花びらが、ある統一した意思でももっているかのように一斉に同じ動きをし始めた。
上手く表現できないけれども、その瞬間、鳥肌が立つような感覚を覚えた。その感覚が、その時の情景と一緒にまだ身体のどこかに残っている。
何といったらよいのかな?大げさに言ってしまえば、世界の秘密の一端に触れたような気がした。一瞬のうちに世界が別の形に見えた。そんな感覚だったと思う。
ありていにいえば回転モーメントのなせる技だ。美しくない言い方をすれば脱水槽が最初、がたがた言いながらそのうち安定して回転するようになるのと同じ力が働いている。
物理を通して物事を見ると、それまで見過ごしていたものの中にいろいろなことを発見することがある。世界のいたるところに自然の法則は貫かれている。それは<見る目>さえあれば、いつでも触れることができる。その時、他の人には見えていない世界の姿が見えることがある。
物理に限らない。
しっかり学ぶと、世界は君たちにいままで見せてくれていなかった顔を見せてくれる。実用的なのかどうかはしらない。けれども、その手前のところで世界は今まで以上に豊かにその存在を開示してくれる。それは素敵なことなのだと思う。
(高木)
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