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2010冬期講習の個別指導の申込とスケジュールの記入フォームです。
以下をクリックしてください。
ダウンロード(pdf)PR
12月9日(木)に11月分の指導の報告などを発送しました。
よろしくお願いいたします。
(高木)
■2007年度 合格者
■2008年度 合格者(国公立編)
■2008年度 合格者(私大編)
■2009年度 合格者(合格体験記 京都大学法学部)
■2010年度 合格者(合格体験記 京都大学工学部)
■2010年度 合格者(合格体験記 愛知医科大)
■2010年度 合格実績(結果)

こういう仕事をやっていると、つくづく、人間対人間の格闘だと思う。全力を振り絞って一人の生徒と格闘しても、(それは本当に格闘です。ここはなんだか格闘技場のような教室だな、と自分でも思うことがある。) その結果を最終的に決定するのは、その生徒自身だから、どうにもならないこともある。またその逆もある。
最近、学習論に関する本を3冊読んだ。
西林克彦氏のもので、『間違いだらけの学習論 なぜ勉強が身につかないのか』(新曜社)、『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(光文社新書)、『あなたの勉強法はどこがいけないのか』(ちくまプリマー新書)。
内容は参考になる。とくに『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』と『あなたの勉強法はどこがいけないのか?』は中3から高1,2くらいのときに読むと良いと思う。後者のほうが生徒の目線を意識しながら、じっさいの勉強方法について書かれている。けれどももし1冊読むなら、『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』を勧めたい。ものごとを知る、学ぶ、そのために読む、ということについて、見た方・考え方が変わるのではないか、と思う。
これらの本の内容はいずれ紹介したいと思っている。
けれども、それらを読んで感じたことが「人間と人間の格闘やなぁ」ということだった。
書いてあることはよくわかる。分かりすぎるくらいよくわかる。日々感じていることに、認知心理学の立場から明快な理論と概念が、またそれを裏付ける実証性が与えられるような気がする。
知識を切り縮めようとするような学習がどうしてダメなのか、丸暗記をしているだけではどうして問題を解決できないのか、そもそも同じ授業を受け、同じテキストを使っていて、さらには同じ学習量であってもどうして学力に差が生まれるのか、そもそも学力はどのように構成されているものなのか。それは「素質」などの一言でかたがつくような簡単な問題なのか、素質なんだよ、というならば、それはもう改変不可なのか。
そうした様々な「学習」にかかわる問題点について筆者は明快に述べてゆく。
まったくその通りだ、と思うことは多々ある。
けれども、だ。きっと問題はその先にある。
ひとりひとりの生徒は、15年、16年、17年生きてきて、いま目の前にいる。その年月は、そのまま言語を始め、様々な知識の蓄積としてある。しかもその蓄積は、実はバラバラの要素になっているのではなく、西林が思っている以上に密かに関連しあっているように感じる。AとBをバラバラに覚えているとそれは使えない知識になってしまいます。全くそうだ。しかし問題はさらにある。本来、AとBが関連付けられていなくてはならないのに、そこが切断されている代わりに、本人も自覚がない間に、論理だかイメージだか分からないもので別の何かと関連付けられていることがおおい。つまり同じAということが、生徒によって別の文脈に置かれていることが少なくない。それが10年以上の蓄積のなかで、強固な構造物をつくりあげている。そして、例えば数学的に正しい理論と概念は、この構造物をいったんたたき壊さなくては全くつかむことができなかったりする。そうでなければ、提示された概念もまた別の文脈に自動的におきなおされ、予期せぬ何かを産み出していく。そうした事例にいったいどれほど遭遇してきたことか、と思う。
正しいことを教えるのはある意味で簡単なことのように思う。あるいは、そんなことは教科書や参考書に書いてある。
つまり問題は、正しいことが提示されても、それが別様の理解を生み出すことにあるように思う。
そうしたことを考えると、詩学と科学哲学についての示唆に富む文章を書いてきたバシュラールの認識論的障害、認識論的切断ということの重大性が身に迫ってくるような気がする。
キリスト教神学とその一環としてのアリストテレスの自然学から近代科学が離陸するに際して、激しいパラダイムの転換があったと述べたのはTh.クーンだった。そして私は、その転換が、<切断>というある種の破壊を伴うものとしてあったのだろうと思う。
バシュラールは、無知や誤謬は空っぽなのではない、という。それは強固な織物を作り上げている。だからその織物を、その構造物をいったん切断しなくては、新しい何ものかを注ぎこむことはできないのだと述べる。
10数年かけて織り上げられてきた構造物とのたたかいは、本当に本当に格闘だな、と思う。
(こんなことをここに書いても仕方ないような気がしないでもない。けれども、書いておきたい、と思った。)
(高木)

この間、いくつか「○○大学実践」というような志望大学ごとの模試やマーク模試があった。
残りの日数はカウントダウンに入っている。
①センター試験や二次試験を含めて、はっきりとした目標の点数を掲げること。各教科ごとに明確にさせること。
取りたい点数(目標)と必ず取らなくてはならない点数をしっかりにらむこと。
とくに後者が死活的。
例えば80%が絶対に必要だ、とするならば、直前のセンターパックなどで基本的に80%~90%くらいの得点の推移にならなくてはいけない。死活的な80%のラインを5回中4回は越えるところまでいったとしても、それでも、6科目の試験でそのすべてが80%をこえるのは計算上1/3くらいにしかならない。(4/5)の6乗になるからです。33%くらいにしかなりません。だから各教科で、80%が絶対的に必要なラインだとなれば、ほとんど毎回その点数を越えるくらいの状態にしなくてはならない。それをしっかり見据えて、自己の学習の現状と方針を確認して下さい。
②最終的な具体的方針を確定すること。
はっきりとゴールラインと自分の立ち位置を見据えた方針でなくては意味が無い。
もう一般的に「頑張る」とか、もっと集中するとかではたりません。方策は具体的で実践的でなくてはなりません。具体的に結果を、その数値を変えるためにどうするのか、それを煮詰めてください。
これは別の言い方をすれば、諦めないこと、です。例え、その道が細く険しく見えても、そこに道筋を見出すことが出来れば、まだ可能性はある。まだ頑張りようもある。それを見つけ出すこと。
もし困ったら、講師にでも、あるいは私にでもすぐに相談してください。何日か後の個別指導を待っていたら間に合わないかもしれない。課題は、即座に解決していきたい。
③これからの演習は、2度、3度繰り返さないのが原則だと思う。
ここで、できなかった問題は必ずしっかりなおすこと。同時に、それでもう入試本番まで触れなくても大丈夫なくらいに固めてしまうこと。課題を見つけたら、これからは一発でそれを直しきってしまわなくてはならないと覚悟してください。
最終局面で、もう一つ、体調管理がかなり大切になります。ここからは「風邪を引いた」というようなことが、「許されない」という局面です。予防措置をとってください。以前に京大の医学部を受験した生徒は、12月くらいからは自分や周りがどうだろうと、マスクをし続けていました。そのくらいのことが必要です。
もう少し、あと少し。だからがんばれ。時間はない。けれどもまだかなりのことが出来る時間がある。だからこういう時こそ、じっくりと腰をすえる感覚で残りの時間を濃密なものにしていきましょう。
(高木)

さて、いよいよあと2ヶ月ほどになってきました。
この間、記述、マークとも模試が立て続けにあった。一喜一憂するなと言ってもそれは已む得ないけれども、もっとも大切な事は、模試を受け、その直しをすることを通して、自分の目標までの距離をはかり、「今日』から『明日』から何をするのか、何をしなくてはいけないのかを明確に掴むこと。
(1) 自分の目標に到達するために、センターと二次、あるいは私大なら志望校の問題を解いて、どのくらいの点数が必要なのか、はっきりつかむ。教科ごとの点数を弾きだす。
※いいことかどうか別にして(まぁあまり良いことではないけれども)、私は浪人生のこの時期にいまのセンター試験的な位置にあった共通一次の「古文・漢文」の勉強をすべてストップしました。
それはそれをストップしても全体の点数を積算していったとき、「必ず届く」と判断したからです。勧めるわけではないけれども、そういう選択肢だってあるのが受験です。
(2) その点数は2段階で考える。必ず取らなくてはいけない点数と目標とする点数。
※国語に関しては大問ごとに点数を考えてください。
(3) これをセンターと二次の配点比率におうじてしっかり弾きだしてください。「数理は9割とりたいな、でも国語はまぁ7割ちょっとくらいかなぁ」というような漠然としたイメージではなくて、はっきり何点いるんだ、ということを突き出してしまってください。
<点数についての考え方として>
必ず取らなくてはいけない点数については、絶対に甘い判断をしないこと。自分にとって苦手な問題が多く出題されたり、通常、二つくらい計算ミスが出るなら、それを織り込んでも必ず取らなくてはいけない点数として考えてください。
模試や過去問を演習していると、当然点数に一定のばらつきが出ます。そのばらつきのほとんど下限に近いような点数が出ても、その「必ず取らなくていけない点数」をクリアする。そのレベルにまで自分の力を上げていかなくてはいけないということです。
そしてその点数をたたき出すために、ラスト2ヶ月、何をどうするのかはっきりした「作戦」を立てましょう。このあたりはかなり人によって違います。たとえば全体で80%の点数を出すにしても、その点数の構成は異なるだろうし、現状からはじまってその点数を出すために、どこにどのくらいの労力を投入するか、全く違います。
つまり「個性的な」勉強がそろそろ必要になります。
もし、どうしてもイメージがつかないのであれば、相談してください。
こういうところで鮮明なイメージを持っているかもっていないか、で、かなり結果が違うような気がします。いわばゴールラインのイメージがないところで、そこにむかってどう走ればいいのかははっきりしてきません。そのイメージを、いま、遅くともラスト2ヶ月を切る前に創り上げてしまってください。
(高木)

昨日、9月分の指導内容の報告書とご請求金額を発送させていただきました。
よろしくお願い致します。
(教務)
ダウンロード(doc)
予習の方法などにも簡単に触れています。受講者は必ず読んだ上でクラス受業を受けて下さい。(高木)