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夏期講習の時期です。
このところブログの更新がぴったり止まっていて申し訳ありませんでした。
この夏に是非、生徒の皆さんに実行して欲しいことがあります。当然、勉強をガンガンやって欲しいということもありますが、そのやり方です。
①手を動かすこと
②調べること
③目的を捉えること
今回は手を動かすことの大切さです。
数学や物理その他の科目を見ていて、非常に手を動かすことが少ない生徒が目につきます。数式を見ているだけ、解説を読んでいるだけ、問題や解説に描いてある図をそのまま使っているだけ。
これでは掴めるものも掴めません。
数式が数式にしか見えない。数式が図形にもグラフにも見える。どちらが問題が解けると思いますか?当然後者ですね? どちらが数学や理科の本来の姿を捉えていると思いますか? きっと後者ですね?
これはみんな納得するところ。
ではどうやったらそうなるのか?
とにかくひたすら自分で手を動かすことです。実際に数式から図を起こす、グラフにする。グラフから立式してみる。式を変形させて、グラフがどう変わるかいくつもいくつも描いてみることです。
そういうことを繰り返していると、当然のことだけれども、数式的=抽象的・論理的世界とグラフ的・図的=視覚的・直感的世界の間の道が太くなります。ただそれだけのことです。実にシンプルです。
しかし頭で理解してもこれはダメなのです。楽譜を理解しても、楽譜から音楽が聞こえてくるようにはならないように、何度も何度も楽譜を実際の音にするということを繰り返すしかありません。
つまり「身体で覚え込む」わけですね。
しかしこの道筋ができあがると、膨大な計算に埋もれそうになっているときに、ふと図形的に処理したら簡単じゃないかと気がついたり、答えの数値を見て、あれ?何だかおかしいな、と思って間違いを見つけたり、そういうことができるようになります。頭の中で数式的なものと直感的なものとがいったいになって動いているからです。ひと夏かけてぜひこのことを実行してみてください。
数学的にも、例えば図形的な問題は、正しい手順で作図ができればある程度の確率でその問題は解けます。逆に作図ができないのに解けるということはほとんどありません。どのようにしたら正しく作図ができるかということのなかに、その問題のいわば本質の部分があることが多いからです。とても大切なことなのです。目の前の問題が解けるか解けないか以上に、物事の本質を捉えていく上で大切なのです。自分の手を動かすことで自分自身のものにしていくのです。
最近、17世紀の「科学革命」と言われる前の16世紀に大きな変化があったというようなことを書いた本を読みました。ルネッサンス期にどのように近代科学が準備されてきたのか、ということを書いた本です。
それを読んでいると、中世のスコラ的な緻密な論理を構築していた学者にかわって、手作業に従事していた職人・理髪師(外科医を兼ねていました)たちの経験の蓄積が大きな土壌になり近代科学が生まれてくる様が良く分かります。
手作業は具体的です。具体的なものに触れています。そして近代的な科学は、そうした「もの」との具体的な接触からしか生まれてはこないのです。
その職人たちの中からは、大学の権威と公然と闘うものが生まれてきます。実際に何もやったことがない、実験も、解剖もなにもやったことのない、経験したことのない、ただラテン語の文献を読むことができると言うだけのあなたたちが、どうして私たちに何かを教えることができようか、というわけです。そういう気概があふれてきます。
数学も物理も、およそ自然科学は、具体的な自然を、論理によって捉えようとします。あるいは数学的に捉えようとします。具体的なものを目の前に引き据えて、そこから出発しようとします。
高校での勉強も実はそう変わりません。本当のところは、その具体的なものを自分で描き出し、つかまえ、そこから数式が立ち上ってくる。そういう感覚はとても大切です。君たちがやっているのは、数学や物理や化学であって、問題を解く練習ではないのです。本当はね。高校から受験への英語が、やっぱり言葉として英語を捉えていくことができないと、ダメなのと同じように、ただ問題を解こうとするだけでは、本当に解けるようにもならないのです。
(高木)