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受験勉強をした一年と数ヶ月の間、私には全く先が見えませんでした。先が見えないというよりも、自分の現状が把握できていませんでした。今でも正確には分かりません。ただ、一月半ばの時点でも「合格」というゴールに向けてスタートした場所から、そう遠くないところにいたと思います。そしていつまでもその状態から抜け出せない自分にあせったり、半ばあきらめかけたり、改善に向けてふんばったりしました。といっても、ふんばり始めたのは高三の夏休みも半分が過ぎたころだったし、正直、それからもだいぶ逃げました。改善すべき課題が見えてきても、途中で放り出すことがほとんどでした(高木先生、滝野瀬先生、すみませんでした…)。勉強と正面きって向かい合い始めてからでもそんな状態だったのだから、当然それまでに積み上げられていたものは無に等しく、ものによってはむしろマイナス状態。特にひどい状態だった数学は既に異次元の産物と化し、破壊と再構築を試みて高木先生の個別に挑むも、己の甘さや傲慢さゆえに自己中心的性質他もろもろの状況は一向に改善されませんでした。
加えて他の教科も本質的には数学と同じ問題を抱えていました。前に進めないことや、同じ学部を目指す人々はもちろん、同級生から何十歩も遅れを取っていることが悔しく、苦しく、惨めでした。特に夏から秋にかけては、焦ってへこんで、逃げてへこんで、の繰り返しの毎日でした。
十一月に推薦入試で初めて入試に失敗したあと、やっと、等身大の己の姿が見えるようになってきて、以前よりも事象と真に向き合うことを意識するようになりました。一月のセンターの大失敗を迎えたころには自分の学力不足を改めて痛感し、わずかながらこれまでやってきたこと全てを来年の入試の糧とする覚悟を決めて今年の私大の入試を終えました。
その後、思いもよらない奇跡に見舞われて大学に合格をもらうことができましたが、私個人の明らかな学力不足や、ゆがんだ性質(性格)など問題は未解決のまま山積みです。これからの大学生活の中で、自らの目標のためにも少しずつ、しかし必ずや改善してみせます。
最後に、Veritasの皆様―特に高木先生、滝野瀬先生、小澤先生―、そして家族をはじめ、医師を志すという私の途方もない野望を支持し、支えてくださった皆様へ。
ここに至るまでに多大なる迷惑をおかけし、大変お世話になりました。
本当に、ありがとうございました。
谷口 奈都希
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筑波大(医) … 1名
名古屋大(医) … 1名
京都大(工) … 1名
岐阜大(医) … 1名
慶應大(環境情報) … 1名
慶應大(看護) … 1名
近畿大(医) … 1名
東海大(医) … 1名
愛知医科大(医) … 2名
名古屋工業大 … 1名
信州大(理) … 1名
立教大(コミュニティー福祉) … 1名
東京理科大(薬) … 1名
東京理科大(理工) … 1名
関西学院大(社会) … 1名
立命館大(文) … 1名
立命館大(情報理工) … 1名
同志社女子大(薬) … 1名
藤田保健衛生大(看護) … 1名
愛知学院大(歯) … 1名
朝日大(歯) … 1名
東邦大(理) … 1名
南山大 … 1名
中部大 … 1名
拓殖北海道短大 … 1名

入試の結果が出てきてもそれをアップすることができないままでした。結果の全容はまた別途アップしますが、結果についてなかなか書けなかったのは一人の生徒の結果がどうしても上手く飲み込めなかったからです。
浪人生でした。私が直接指導もしていました。
重い2年でした。格闘してきた2年間でした。
けれども、思いもかけないことに、思いもかけない結果が今日、知らされました。
以下、お母様に打ったメール、ちょっと手を入れましたが、無許可でほぼそのまま転載します。(本人にも打ったけれども、それはやめておきます)
K様へ
合格おめでとうございました。そしてある意味で「ありがとうございました」。
今年の受験生を振り返ったとき、どうしても締めくくれないものがありました。もっと何かできたのではないか、もっと何かやるべき事があったのではないか、そんな思いがグルグルと回っておりました。やっと肩の荷を下ろすことができました。
精神的にもいっぱいいっぱいの受験だったと思います。
我慢強い子です。時々、爆発しますが、それでも辛いこと、苦しいことにじっと耐え続ける生徒でした。そのため私が見誤った時期もあったような気がしました。現役生にまじって黙々と歯を食いしばってやるべきことをやろうとしていました。
受験生となって2年。いま教室にきてからの記録のファイルを見ていましたが、私たちとの出会いは1年生の8月17日でした。初回面談があってその翌日には滝野瀬の個別がありました。それから約3年半。長かったですね。あまり良い想い出はなかったかもしれません。親会社が倒産し、教室が潰れ、閉鎖を余儀なくされました。払い込んだお金も戻らず、現役の時は合格がなく、模試の結果もなかなか出ませんでした。
浪人してからのセンター試験も今ひとつの結果にとどまり、慶應がダメで筑波・医がダメで、ほぼ大丈夫だろうと思っていた後期の愛媛大・医もダメでした。「東京理科大の薬学部にいきます」という彼女のメールを見て返す言葉がありませんでした。理科大の薬学部は悪くはありませんが、彼女が望んでいたことからすれば、そしてそこに投入されてきた苦しみや努力からすれば、あまりにもささやかなものにしかみえませんでした。「お母さん、お父さんに申し訳ない」とボロボロと泣いた日から、1年間、不安と孤独とたたかってきたと思います。泣き言も言わず、愚痴もこぼさず。その彼女が東京理科大の薬学に行くというのはあまりにも切ないものがありました。
でも、それもこれも、今日の(いや日曜日のでしょうか)ドラマのためのものだったのでしょうか?もしそうだとすれば、ちょっと意地悪なドラマだなとも思います。もっとすんなり合格を出してやってくれよ、と思います。それに値することはやってきただろう?と思いますから。
今日、ちょっとだけ涙を流しましたが、あれはうれし涙と言うよりも苦しかったことを思い出してのものだったように思います。厳しいことばかりで「喜び方」を忘れてしまったのかもしれません。それくらいシビアなプロセスでした。
何か実感がないと言っていましたが、きっとこれから筑波大学医学群・医学類を味わっていくのでしょう。
ようやくこれで彼女の努力に価するものが与えられたと思います。
やはり、この世の中、血の滲むような努力が報いられるものでなければ、いけないですね。そして本当に望みつづければ報いられるのですね。
本当に良かったです。
おめでとうございました。これで今年の私の仕事は締めくくりを迎えることができました。ありがとうございました。
筑波大学・医学群(医学類)=前期日程の合格が3月29日付けで出た。
合格通知書のコピーをもらった。教室に張りだした。京都大学工学部や名古屋大学医学部、岐阜大学医学部の合格者の氏名も張りだしてあるけれど、ごめん、滝野瀬の発案もあって彼女の名前と合格通知書を一番てっぺんに張り出させてもらった。
みんなの受験に投入した努力と格闘が軽いものだと言うつもりはないよ。結果のいかんに関わらず、大学のランクにかかわらず、そこには一人ひとり、とても重いものが含まれている。みんな自分の壁と格闘していた。それはよくよく分かっているつもりです。でもね、それでもなお彼女の合格通知は私にとってもっとも重いもものだったから。
(高木敏行)

<国公立大>
京都大(法) … 1名
名古屋大(医) … 1名
名古屋大(経済) … 1名
横浜国立大(教育人間科学) … 1名
名古屋工業大 … 1名
静岡大(農) … 1名
静岡大(人文) … 1名
<私立大>
早稲田大(人間科学) … 1名
藤田保健衛生大(医) … 1名
金沢医大(医) … 1名
近畿大(医) … 1名
同志社大(法) … 1名
中央大(法) … 2名
明治大(情報コミュニケーション) … 1名
青山学院大(理工) … 1名
青山学院大(社会情報) … 1名
東京理科大(理) … 1名
南山大(経営) … 1名
南山大(総合政策) … 1名
南山大(情報理工) … 1名
日本大(商) … 1名
武蔵野大(文) … 1名
名城大(法) … 1名
名城大(経営) … 1名
名城大(理工) … 1名
愛知工業大(工) … 1名
<京都大学法学部 合格体験記> (安島崇展)
僕が受験というものにはじめて向き合ったのは高2の冬であり、初めて真剣に向き合うようになったのは高3になってからでした。
別に高2の冬まで勉強していなかったというわけではなく、後に得意(と思い込んでいた)科目の英語の基礎的な部分は高1や高2の時期に出来上がったと思っています。しかし、不得意科目であった数学に特に顕著でしたが、嫌な物から逃げ、あるいは自分の世界に合うように作り変えてしまう癖がついていました。
部活を引退し、突然受験が僕の前に姿をあらわしたとき、僕はまだ先のこととたかをくくり、生ぬるく受験と向き合いはじめました。何とかなると思いながら、とりあえず言われたことをこなし(時にやり残しながら)時間は過ぎて行きました。(結局これらの癖は完全に治ることは無かったような気がします。ただ、抑える努力は相当していたと思います。)
高三になって、正確には少し前の三月三十一日。個別指導のときに自分の現状と、自分のなんとなく目指していた目標の厳しさを知らされました。本当はもっと前から言われていたようですが、頭には入っていませんでした。
自分に足りないものを自覚すること、それを見据えて目標を設定し、計画を立てること。それが本当に大切だと思います。
自分の位置と行き先がわかってはじめて、本当に自分が前進しているのか、方向を間違えて遠回りしたり、最悪後退したりしていはしないかが分かります。目標に近づいた喜びも、後退してしまった悔しさも、自分の位置が分かっていないと味わうことはできません。さもないと無感動のままだらだらと時間は過ぎて行きます。ゲームのように受験を楽しむ気持ちを少し持つといいかもしれません。
言わば僕に合格までの地図を渡してくれた高木先生、滝野瀬先生、その他の講師の皆さんに深く感謝しています。本当にありがとうございました。
安島崇展
以上が安島君の合格体験記です。文面では伝わらないくらいの激しい格闘でした。高校名なども書こうと思ったけれども、やめておきました。彼は高校を背負って合格したわけではないからね。
彼については思うことがあり、また記したいことがあります。現在の生徒に伝えておきたいこともあります。ちょっとまた、書きます。
(高木)

稲熊 立(滝) … 一橋大学(経済)
大城康平(滝) … 京都大学(薬)
澤野博之(大同) … 岐阜大学(応用生物科学)
杉山佑子(南山女子) … 横浜国立大学(経済)
塚本和加(滝) … 三重大学(生物資源)
長崎由利子(桜台) … 愛知教育大学(中等美術)
平野雄一(名古屋) … 金沢大学(工)
舟橋康太(滝) … 神戸大学(工)
渡辺紗彩(滝) … 神戸大学(医-看護)
岩田尚子(木曽川) 国立病院機構
名古屋医療センター附属
名古屋看護助産学校 合格!
大城康平(滝) … 京都薬科大(薬)
落合優(高卒認定) … 日本福祉大(経済)(健康科学)
金井勇樹(愛知) … 中部大(応用生物)
杉山佑子(南山女子) … 早稲田大(商) ・ 同志社大(経済)
武井菜摘(松蔭) … 東海大(体育) ・ 中京大(体育)
長崎由利子(桜台) … 愛知淑徳大(文-教育)(文-国文)
平野雄一(名古屋) … 関西大(環境都市工) ・
同志社大(理工) ・ 東京理科大(理工)
廣田祥彬(滝) … 関西学院大(商) ・ 立命館大(経営)
・ 立教大(経済) ・ 南山大(経営)
舟橋康太(滝) … 立命館大(理工) ・ 東京理科大(理工)
・ 明治大(理工)
松井あずみ(東海南) … 立命館大(情報理工)
松井翔太(東邦) … 大同工業大(情報)
おめでとう!!
梶洋介 君 (滝高校) 上智大学・理工学部機能創造理工学科 合格
塚本和加 さん (滝高校) 防衛大学校・理工学部 合格(ただし1次の学科試験ですが)
村井綾華 さん (富田高校) 名古屋柳城短期大学・保育科、愛知文教短期大学 合格
それぞれの希望と努力がありました。努力をすれば自動的に結果がついてくるわけではない。けれども努力がないところに結果はありません。
おめでとう。
受験はまだまだ続く人もいるけれど、まずはおめでとう。 (高木)